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2011.03.11
2011年 03月 13日
この日はもともと私にとって特別な日になるはずだった。

”A”高校生活最後の日。
そう、卒業式だったのだ。







3年前の入学式は春の大嵐。
その後もインフルエンザで修学旅行は
北海道3泊4日から
広島・四国地方へ2泊3日に変更になったり
いろいろな行事がお天気に影響されたりした学年で
卒業式も雨かも・・・なんて思っていたのだけど
寒いながらもお天気は良く、良かったなぁって思っていた。

3年前の入学式では正直、大丈夫か?この学校(学年?)
って思っていたのだけど、
3年経った卒業式は、なんだかもう感動したりして。

卒業証書授与では1年のとき担任だった先生(男性)が
生徒の名前を読み上げるとき、途中から声を詰まらせて
思わずもらい泣き。。。
いい先生なんだ、この先生。
好きだったんだけど、2・3年は担任じゃなくて残念だった。

その後、送辞を読み上げる男子が途中から鼻をすすり
その送辞もまたぐっと来るものがあり
あちこちでハンカチで目頭を押さえる母の姿あり。

そして退場するときには、子供たちが先生に花束を渡した。
それぞれのクラスで味のある渡し方をしていた。
先生を胴上げするクラスあれば、
クラッカーを鳴らすクラスあり。
このときも前述の先生は、生徒たちから
大声で「ありがとうございました!!」と言われ
とうとう男泣き。
(ちなみに”A"のクラスは特に何もなし。
 先生、内心さびしかったかも…)

式が終わって”A"を探してやっと見つけても
人の顔を見て迷惑そうな顔をしやがるし。。。

”A"が大っ嫌いだった担任だけど
最後の最後まで本当に迷惑をおかけし通しだったので
最後にご挨拶を、、、と思って職員室へ。
先生からしたらやっと追い出せてよかった、って言うのが本音だったでしょうが、
とりあえずはまぁまぁ、おめでとうございますってな訳で。

でも、いい式だったなぁとしみじみ思いながら
お父さんの確定申告の相談をしに
東村山税務署へ移動。

おなかが空いたのでまずはイトーヨーカドーのファミレスで食事をし、
はきなれない靴が痛くて、たまたまバーゲンで柔らかい靴を発見し購入、
そのまま履き替えていざ税務署へ。

15日が締め切りとあって、まぁ並んでること並んでること。
やっと建物の中へ入ったと思っても、まだ行列。
やっとこさで受付へたどり着いてこちらの主旨を伝えたけど
結果は「却下」…。

あ~あ、まぁしょうがないか。
でも疲れたから、マックでコーヒーとアップルパイでも、
と思ってカウンターに立ったところで揺れが来た。

すぐ終わるかと思ったらいつまで経っても終わらない。
そればかりか、どんどんどんどん激しくなる。

ガラスのドアを開けて抑えてたら
壁伝いに揺れが体に直にしみ込んでくるよう。
店内には客の悲鳴。
店員のあわてる姿。
2階から階段を駆け下りてくる客たち。

いつの間にか通りの車は動いてなくて
先端が2つにカーブして分かれた街灯が
まるで台風の風にあおられる樹木のようにしなっている。
道路の真ん中に立ちすくむ人たち。

やっと揺れが収まったとき、
「ライが一人だ!帰らなきゃ!」
という思い。
駅に急いだ。
でももうすでに電車は止まっていた。
駅の2階にいるときに第2の揺れ。

天井からさがっている掲示板が大きく揺れる。
あちこちで「上に気をつけろ」と注意しあう声。

駅員さんたちが「ここは危険ですから外の広場に行ってください!」と
叫んで回る。

この日、携帯を家に置き忘れた私は
公衆電話から自宅にかけたけど、ずっと話中。
何回かけても話中。
そうか、受話器が外れてるんだ。
時間を見れば、まだ誰も帰っていないはず。

携帯に頼りっぱなしで、自宅以外の電話番号なんて覚えていない。
でも、この日は税務署にいく為に
念のためにいろいろ入っている小バッグを持っていた。
その中に確か古いアドレス帳が入っているはず。
そこで妹の家の電話番号と妹の勤め先の電話番号、
それに妹の主人の携帯番号を発見。
携帯はつながらず、自宅は誰も出ない。
妹の勤め先にかけたら妹が直接出た。

とりあえずこちらの状況を説明。
妹もまだ職場から出られないというので
”R"への伝言を頼み、いったん切った。

東村山の駅前にははしご車が何台も来て騒然とした雰囲気。

歩いて帰ろうか、と本屋で地図を探す。

それにしても、早く帰るつもりだったし卒業式に出るために
かなり無理した春物のスーツとコート。
どんどん気温が下がって、寒くなった来た。
たぶん、歩いても2~3時間で帰れるだろうな、とあたりは着いたが
とりあえずもう一度駅へ戻ろう。
と思ったら、そこにどこかで見たことのある横顔を発見!

「Sさん?」
「あれ~っ!○○さん!?」
と二人でびっくり。
彼女もやはり確定申告で税務署に来ていたんだという。
「良かった、一人じゃなくて少しは心強いわ」
と私が言うと、彼女は
「もう一人、さっきから励ましあってる人がいるの」と。
見ると赤ちゃんを抱っこした若いお母さんが。
ここから大人3人、赤ちゃん1人という共同体が出来上がる。

とりあえずまだ時間がかかりそうだから、と
イトーヨーカドーに行こう、ということになり
ファミレスでコーヒーを飲んで時間をつぶした。

その間Sさんの携帯の充電がなくなり、
私とSさんは何度か公衆電話に向かうことになった。
赤ちゃんはYちゃんという生後半年の女の子。
人見知りもせず、愛想のいいかわいい子だった。

18時を過ぎても依然電車は動かない。

たまたま赤ちゃんをつれたHさんも、私たちと帰る方向が同じだったので
どうしてもだめだったらタクシーで一緒に帰ろうか、という話に。
でも、Sさんがあちこちに電話をしたら、たまたま東村山に知り合いの人がいて
その人が教会の人なので、しばらく非難させてくださるという。
最悪の場合は、泊まっても大丈夫といってくださるので
お言葉に甘えて身を寄せさせていただくことに。
私は寒さに耐え切れず、またまたバーゲンで薄手のセーターを購入。
とんだ出費がかさむ。

コンビニで飲み物と食べ物を買って、教会へ。
暖かい部屋で初めて会う人たちといろんな話をした。
こんな経験、めったにできることじゃない。
しかも、みんなとても気のいい人たち。

途中駅の公衆電話に行き、妹に教会の住所と電話を知らせた。
そのとき、今夜中の復旧はないかもと言われた。
たまたまこの日会議で妹の主人は新宿にいたらしい。
JRは復旧しそうもないので、歩いて帰っていると言う。
今夜はこのまま、この教会で夜を明かすのかも、と半分思い始めていた。

うちの馬鹿息子どもは
”R”は合唱コンの打ち上げに行くと言って自転車で出かけたと言う。
思わず絶句・・・・。
”A”はいったん家に戻ったが、また出かけたと言う。
まったく揃いも揃ってナニをやってるんだ。

Sさんが2度目に駅の公衆電話に向かった間に
教会の牧師夫婦が私たちのために寝床の用意をしてくださるのを手伝い、
セット完了したころSさんが戻ってきた。

「10時何分かに電車が動くって!」

せっかく用意していただいたのだけど
お礼もそこそこに、駅へと戻る。

途中Hさんにアドレスを教えたりしながら
すぐに来た電車に乗り込んだ。

登り方向だったので電車は混んでおらず
普段はちょくちょく遅れたり事故が多い西武線だけど
初めて西武線沿線で良かったと思った、と三人で笑った。
そしてYちゃんのかわいさに和まされたよ、なんて言いながら家路に着いたのだった。

まず妹の家に行くと”R”は予定していた焼肉店が、
ガスのトラブルでお店が閉店になり戻っていた。
”A”はメールで「今夜はたぶん帰らない」と…。ため息がでるよ、まったく。

東村山から家に着くまでの間、私やSさん、Hさんはほとんど地震の情報を聞かずにいた。
教会で「テレビもありますよ、見ますか?」と言われたのだけど
見ると怖くなるから、見ないと言って断っていた。

家に着いてから初めてニュース画像を見て
その災害の規模に愕然とした。
大きな揺れを体感した後だけに、事の重大さが感じられた。

私が家に戻ってから少ししてお父さんも帰宅。
仕事場から4時間かけて帰ってきた。
翌日も仕事だったので、どうやって行けるかを考えていた、と言って仏丁面だった。

こうして長い長い一日が終わった。

そして翌日の朝。

テレビからは目を覆いたくなる惨状の映像が次々に浮かぶ。

私にとっては縁のある土地ではないけれど
この惨状を目にすると胸をかき乱される。

私も今日は仕事だった。

職場へ向かういつもの道は、いつもと何も変わらず
犬の散歩をしている人や、それぞれの日常を送っている人が通る。

さっきみたばかりの被災地の映像とのギャップに
言葉で表せないもやもやした気持ちになってしまった。
この道はきっとあの場所に続いているのに。。。。




犠牲になられた方々やそのご家族の皆様に、謹んでお悔やみ申し上げます。
そして、一日も早く、被災者の皆様が安穏な生活に戻られることを願ってやみません。
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by hicyamama | 2011-03-13 02:47 | ひとり言
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